更新:2006年3月13日(月) 07:04 (日本時間)
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「共謀罪と監視社会」を問う市民集会を150名で開催

  1・27上智大学  主催・集会実行委員会
 

 
 第一六四回通常国会において共謀罪法案や憲法改正手続き法である国民投票法案をはじめ日本を「戦争する国」にするための悪法の数々が上程されようとしている緊迫した状況のもとで、1月27日、上智大学において、150名が参加して「共謀罪と監視社会」を問う市民集会が開催された。

 
 冒頭に、伊藤成彦さんが、開会挨拶をかねて国土交通省要請行動を報告した。
 「共謀罪はどこが危険なのか?」―足立昌勝さん(関東学院大学教授)が条文にそくして、共謀罪は「社会に与えた害悪を尺度に処罰する」という近代刑法がもつ構造を否定し、人の内心を処罰するとんでもない悪法であることをわかりやすく解き明かした。村井敏邦さん(龍谷大学教授)は、イギリスで労組への弾圧法として生まれた共謀罪の歴史的成り立ちを紹介しつつ、共謀罪の危険性を訴えた。ついで、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)は、人の心を操作の対象にする監視社会の恐怖を明らかにした。さらに、田島泰彦さんは、憲法二一条の「表現の自由」そのものが改憲のターゲットになっていることに警鐘を乱打した。最後に、渡辺千古弁護士(住基ネット差止訴訟全国弁護団事務局長)があいさつし、住基ネットは国家が国民を管理する攻撃の象徴だと発言した。
 共謀罪法案や監視カメラなどに反対するとりくみをすすめ、監視社会を拒否するたたかいの重要性を改めて確認しあう集会でした。

【会場では「すばらしい監視社会」と題した橋本勝さんのイラスト展も行いました。】
 


集会での発言から
 
 
「共謀罪」はどこが危険なのか?

 
足立昌勝さん(関東学院大学教授)

 
 共謀罪は、「体制批判派」を抑圧し、捜査当局に新たな権限をもたせるためのものです。今の刑法では、実行行為なしに共謀だけで処罰されることは絶対にない。ところが人間の内心としての意思(の合致)を処罰するのが共謀罪であり、これは「社会に与えた害悪を尺度に処罰する」という近代刑法の原則を否定するものです。未遂や予備行為の処罰さえ、殺人など一部の重大犯罪についてのみ例外的に認められているにすぎない。「長期4年以上の懲役若しくは禁錮が定められている罪」のすべてを共謀罪の適用範囲に入れることは、何を意味するか。例外的な重大犯罪を除けば、ほとんどの犯罪は既遂(犯罪の実行が完了した場合)のみしか処罰できないのに、未遂や予備を飛び越えてそれ以前の内心=意思の段階(意思の合致)を処罰する。合理的説明なしにみとめられない。
 これは警察にとって最大の武器になる。何かあると、通報者を利用しながら一回逮捕しよう、となる。それだけで運動がつぶされる危険性がある。私たちの心の中が、権力よって侵害されるという危険性にたいして、これを許さない闘いは、市民一人ひとりにかかってくると思います。
 


村井敏邦さん(龍谷大学教授)

 行為と結果があれば処罰するというのが刑法の原則です。しかし、行為も結果もないのに、何人かで合意した事実さえあれば処罰しようというのが共謀罪です。もともとは、十九世紀はじめにイギリスで労働組合が賃上げ要求集会を開くことを「取引の自由侵害」として処罰するために用いられた概念であり、これがアメリカに渡って労組弾圧のために猛威を振るった。雇用主や政治的な反対派を押さえつけようとしている人たちには大変有効な犯罪名になる。これが共謀罪のもともとの成り立ちであり、現在の使われ方です。
 刑法なんかない社会が理想だが、刑法がある以上できるだけ適用範囲を明確にして、人々の自由な行動範囲を確保する努力を近代刑法の理論家はずっとしてきた。これを踏みにじる共謀罪は、学者的良心から認めるわけにはいかない。


監視社会の恐怖 斎藤貴男さん(ジャーナリスト)


 監視カメラで人の行動と心を見張る。石原都知事は治安対策として「心の東京革命」を提唱している。人の心に対して行政が介入してくるのが監視社会の大きな目的です。
 憲法まで変えて、「世界中で戦争しようぜ」という今の流れ。武力行使された側が「テロ」で報復するということが予測されるから監視する。「構造改革」によって国内の階層間格差がとめどなく広がっているので監視する。監視社会は、テロも犯罪も犯さないであろうごく普通の人たちを、見張る側と見張られる側に分断する結果だけをもたらす。プライバシーがどうのというレベルを遙かに超えている。社会は一体誰のものか。監視されて、権力にお伺いを立てながら天下の往来を通らせていただきますということになる。それで果たして人間が生きるに値する社会なのか、ということが問われなければいけない。
 


改憲と言論統制 田島泰彦さん(上智大学教授)

 
 改憲は九条だけでなく表現の自由をターゲットにしている。そのやり方には三つある。一つは憲法二一条の文言自体を変えて制限をつける。二つめには、プライバシーの権利を入れ心地よい言葉で「表現の自由」を規制する、優しい顔をした規制のやり方。ここでいわれている「プライバシー」は、住基ネットや監視カメラで権力が監視していることに対するプライバシーではなく、メディアが横暴なのだということを言っている。メディアや表現を規制するために「プライバシーの権利」を憲法に明文化するというものです。三つめは、戦争をできるように憲法を変えることによって言論統制するやり方です。
 「言論の自由」は最後の砦。かつての戦争がおこなわれたのは言論抑圧をされてしまったからであることを心にとめて、最後の砦を守りぬいて、社会が変な方向にいかないようにチェックしないと、われわれだけでなく、次の世代に申しわけが立たない。


 


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