更新:2004年5月25日(火) 23:04 (日本時間)
■ コンテンツ
■ トップ>>コラム>>監視する側の傲慢な論理――犯罪機会論の犯罪性
トップページ
会の趣旨
主張・行動提起
「NO!監視」ニュース
監視社会の実態
コラム
マスメディアから
国外では
資料
リンク
■ お願い

当サイト及び「『NO!監視』ニュース」についてのご意見・ご感想をFAX、お手紙、Eメールでお寄せください。
投稿も募集しています。


鵜の目、鷹の目、市民の目(第3回)

監視する側の傲慢な論理――犯罪機会論の犯罪性
 


 「犯罪機会論」という「理論」がある。立正大学助教授の小宮信夫氏(犯罪社会学)が『現代警察』103号に「犯罪機会論による犯罪抑止」という論文を書いているのを見つけた。監視カメラで「無死角性」を高めて犯罪の機会をなくせば犯罪は未然防止できるという。乱暴なこの「犯罪対策論」の真意はどこにあるのだろうか?
 

機会があれば皆犯罪者?

 小宮氏は、「日本の治安は悪化している」と決めつけたうえで、欧米諸国と同じように、「日本も犯罪原因論から犯罪機会論に転換しなければならない」と説いている。「犯罪原因論」とは、犯罪者が犯行に及んだ原因を究明し、この原因を除去しようとする考え方である。犯罪者と非犯罪者の間には差異があることを前提にして、犯罪に至った犯罪者の人格や境遇に原因を求め、この原因を除去することによって犯罪を減らそうとする。こうした考えをもとにして、従来の犯罪対策は成り立っていたという。
 これにたいして、1980年代に欧米に登場した「犯罪機会論」とは、「犯罪の機会を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする考え」といわれる。小宮氏は言う、「犯罪者と非犯罪者との差異はほとんどなく、犯罪性が低い者でも犯罪機会があれば犯罪を実行し、犯罪性が高い者でも犯罪機会がなければ犯罪を実行しないと考えられる」と。
 こうして、「犯罪機会」を奪うことが犯罪の未然防止になるとされ、「抵抗性」「領域性」「監視性」の向上が対策の柱とされる。「抵抗性」とは鍵や防犯ブザーや非常ベルの設置など、「領域性」とはフェンスやブロック塀で区画をつくることなど、「監視性」とはいうまでもなく監視・見張りと例示されている。
 この「ハード面」の対策に加えて、「ソフト面」の対策が同時に必要なのだという。鍵があってもかけなければ意味がないというわけで、要するに住民の防犯意識の向上が強調される。小宮氏の授業では、「地域安全マップ」をつくる合宿演習をおこない、「最初は旅行気分の大学生も、実習が終了する頃にはすっかり警察署長気分になり、実習地の安全を真剣に考えている」と自慢している。
 

監視カメラこそ防犯の切り札!

 ここまで紹介すれば、この先生の言いたいことは一目瞭然だろう。
 監視カメラをドンドンつけろ! 街から死角をなくせ! これが第一の結論とされている。「監視の目が光っている場所では、犯行を躊躇・断念する可能性が高い。つまり、高い監視性は、犯罪にブレーキをかけることができるのである」。この「監視性を飛躍的に向上させるものとして注目されている技術に監視カメラがある。監視カメラというハイテクの目は、人間の目に代わって、あるいは人間の目よりも正確に、犯罪者の行動を把握できるので、監視カメラには犯罪の機会を減らす効果があると考えられている」。監視カメラこそ、犯罪未然防止の切り札! というわけだ。
 小宮氏の言いたいことの二番目は、「行政とコミュニティとのパートナーシップを確立し……、コミュニティ自身が犯罪を防止する意志と能力を持つ必要がある」ということである。すなわち、行政・住民・企業が一体となった、防犯活動の推進ということになる。安全・安心まちづくりを推進しよう! 子供の頃から「地域安全マップづくり」をやらせよう! と先生は提唱している。
 

「国民監視」正当化の理屈

 だが、当会の研究会ですでに学んできたように、犯罪統計を正確に読み解くならば、「日本の治安の悪化」を示すような数値はどこにもない。しかも、監視カメラに防犯効果などない。だから、小宮氏の立論の前提が誤っている。以上の点は、当会のニュース6号の紙面で詳しく論じている。
 それにしても、治安の悪化という前提が存在せず、監視カメラに防犯効果はないとすると、何のために生活安全警察が主導し警察・行政・産業界が一体となって、日本中を監視カメラだらけにしようとしているのだろうか? 
 この答が、実は、犯罪機会論に隠されている。
 小宮氏は、「犯罪者と非犯罪者に差異はない」という。いいかえれば、国民のすべてが犯罪を犯す可能性のある者と仮定する、ということになる。この“国民皆犯罪者”論をもって、監視カメラ網で日本を覆い尽くすことを正当化しようというわけだ。
 犯罪機会論の輸入元であるアメリカでは、民間企業を含んだあらゆるデータベースを国防総省の下に集約し、すべての国民の行動を監視・管理することをつうじて、テロに繋がる動きを事前にあぶり出すという「テロ対策」の研究が開始されて久しい。国民総背番号制を基盤として構築が進む日本の監視社会化も、アメリカの国民管理の強化と同じ発想と手法で進んでいる。建前上の目的も共通する。日本もすでに、「防犯」に加えて、「テロ対策」が次第に前面に掲げられ始めている。
 

「防犯活動」のウラ側

 では、犯罪機会論にもとづく「防犯活動」や「防犯意識」の強調は何を意味するのであろうか。なにしろ、他人はすべて犯罪者になる可能性があるというのだから、住民には互いに監視し密告し合うことが奨励される。お母さんが、子供が犯罪に遭わないことを願い、地域の「安全パトロール」に参加しても、このお母さんもまた、いつ警察に密告されるかわからない。保護者同士が、実は相互に監視し合うように仕向けられているのだ。
 しかも、地域の相互密告組織に束ねられた住民たちは、この「防犯組織」を管理する組織から監視されている。自転車のカゴに、「中野小学校安全パトロール中」というステッカーを貼って買い物に出かけたお母さんを、犯罪予備軍の一人と見なして監視カメラが追っている。この監視カメラを操作しモニターしているのが生安警察である。
 もちろん、お上にとって、警察にとって、犯罪とされるような行為をしなければいくら監視されても犯罪者として逮捕されることはない、とはいえる。けれども、犯罪者と非犯罪者とを分ける権限は、市民にはない。もしも、国会で「自衛隊がイラクで人道支援に努力している時に、これを支援しないのは非国民である」と決議されて、警察が「戦争反対を掲げることは犯罪だ」「今時プライバシー権など主張する者は不穏分子だ」という基準で検挙に乗り出したならば、どうなるだろう。
 決してあり得ない想定ではない。「人質」となった被害者に「自己責任だ」「救出にかかった費用を払え」と突きつけたのが、産経・読売だけでなく、日本政府自身なのだから。いまや、自衛隊のイラク派遣に異議を唱えることは、明確に異端者・罪人扱いされる時代に入っている。
 

「街頭に出ればプライバシー権はない」

 ところで、次の事実を記録しておかねばならない。本年2月に大々的に開催されたセキュリティショーという防犯設備見本市の一角、小宮氏は、「街頭監視と防犯活動」と題したセミナーに登壇して犯罪機会論を講演した。先生は、警察と行政とセキュリティ産業の関係者というお仲間に囲まれて、つい本音を語った。
 「プライバシー権とは、そっとしておいてもらう権利です。だから、人が街頭に出たときは、もう、プライバシー権なんて放棄しているんです。街を歩いている人にプライバシー権はありません。」
 論文では「監視カメラ網の拡大に伴い、プライバシーの保護のためのルールづくりが必要だ」と一応は述べられていても、本音ではプライバシー権も肖像権もハナから否定しているのが犯罪機会論者の腹の内というわけだ。
 

平和憲法を堅持して

 「防犯のために監視カメラは必要」といわれれば、「その目的までは否定できない」などと騙されているばあいではない。「安全」「安心」「防犯」という美名を語る者の腹の内を見抜かなければならない。監視する側と監視される側がはっきりと階層分化している以上、監視する側の論理は、建前の裏側でますます傲慢となる。
 国家による最大にして最悪の暴力行為である戦争でさえも、「人道」や「復興」や、ありもしない「大量破壊兵器の根絶」という名のもとに正当化されたり、かつては「大東亜戦争」が「アジアの解放」と美化された。
 戦争が日常の風景になろうとしている今、国民監視・管理の強化から基本的人権を守るために、憲法の平和主義を堅持し、毅然と対峙しなければならない。これが、「犯罪機会論」から得られる、監視される側の結論である。  

〔小宮氏は現在、警察庁「少年非行防止法制に関する研究会」委員、東京都「治安対策専門家会議」委員。〕

 


このWebサイトに関するすべての著作権および関連する権利は「監視社会を拒否する会」に属します。
このサイト内の文章・画像などを、ハイパーリンクで紹介することは完全に自由です。
また、ハイパーリンク以外の形態(コピペ・フレーム・IFRAME・ILAYER含む)で、あるいはインターネット外部で紹介・引用する場合は、引用元として私たちの名称“監視社会を拒否する会”およびこのサイトのURL(http://www006.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/index.htm)を併記してください。 Webページからの引用の場合、加えてこのサイトのトップページまたは引用元ページのいずれかにリンクをお張りください